http://takano.blog.ocn.ne.jp/nissi/2009/11/post_ea09.html より
2009.11.25

女川原発で プルサーマルを考える 3

紙上でNHKBS放送 BS世界のドキュメンタリー、「核の警鐘、問われる原発の安全性」(2009年7月7日未明放送したもの)の一部、炉心溶融の場面だけですが、再現してみましょう。

プルサーマルを考えるときに、炉心が溶融する重大事故の可能性も考慮し、検討すべきではないでしょうか。私は実際に、チェルノブイリ原発にもスリーマイル島原発にも現地調査に出かけ、炉心溶融の現実を見て来ました。

この番組が今年フランスで制作され、NHKで放映されたことを機会に、ご一緒に考えてみませんか。原発の安全性について・・・プルサーマルのことについて・・・。

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<ナレーター> 1979年アメリカの原子力産業界に大きな衝撃が走りました。スリーマイル島原発事故は技術上の欠陥とオペレーションチームの操作ミスが原因でした。死者も放射能汚染も出さず、施設は持ちこたえましたが、その3年後、アメリカの研究者が、ありえないことが起こった。つまり炉心が溶融したことを認めました。

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<IRSN原子炉安全対策部長 マルシャル・ジョレノ> スリーマイル島原子力発電所の事故のときは、炉心溶融など想定もしていなかったことです。設計する段階で、こうした重大な事故が起きることを考慮していなかったということがわかります。

<ナレーター>関係者は自分たちが危険を軽く見ていたことに気づきました。原子力発電の性質をより深く知るため、フランスはこの年、実験炉フェビュスをつくり、ここでは小規模の事故の状態をつくり出すことができます。1979年から2004年にかけて、世界中の専門家が協力し、実験が何回か行われました。一回につき各国から5000万ユーロを拠出し、3年間の準備と5年間の分析が必要です。炉心が溶融した際の原子炉内部の状態を明らかにするのです。この青みを帯びた光はチェレンコフ効果と呼ばれ、中性子が水の分子と衝突した時に光る現象です。放射能レベルが高いので、原子炉には近づけません。しかし、X線の写真で中の様子がわかります。

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<フランス原子力安全研究所IRSN ジェラール・セネリーノ> ウラン燃料のサンプルを使って3回実験をしました。炉心で溶融させて何が起こるか観察したのです。最も温度が高い部分で溶融することがわかりました。この部分は空洞になっています。溶融してしまったからです。ここまで落ちてきます。スリーマイル島原発事故でも15年ほどたってタンクを切り開いたところ、同じようなことが起きていました。炉心が溶けて流れ出し、縁を越えて原子炉格納容器の底まで流れ込んでいたのです。

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<ナレーター> 炉心が溶融すると放射能の強い超高温の粘り気のあるコリウムと呼ばれる物質に変わります。コリウムは腐食性が強いため、原子炉格納容器やその底にあるコンクリートの壁を突き抜けてしまいます。フェビュスの最初の実験では、それまで予測されていたより、はるかに低いおよそ摂氏600度で炉心溶融が起こることがわかりました。

※初回放送時の炉心溶融実験についてのナレーションの一部を、以下のとおり変更しています。
改)「フェビュスでの最初の実験では、それまで理論的に計算されていた値よりおよそ600度も低い温度で炉心溶融が起こることがわかりました。」

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<IRSN技師 ジュヌギエーブ・ボーモン> 80年代初めには、溶融は摂氏2800度で起こると考えられていました。実験でわかったことですが、溶融は単にウランの温度によるものではありませんでした。いろいろな要素すべてが関係して起きたことだったのです。それには燃料棒やそれを覆っているジルコニウムの合金も、核分裂反応をコントロールする制御棒も含まれます。さらに水蒸気にいたるまでどれもが関係していることがわかり、考えられる要素すべてを調査しました。フエビユスの実験で溶融が起こる原因がくわしく解明されたのです。

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<ナレーター> しかし、6年後の1986年4月26日、信じられないことが起こりました。チェルノブイリ原発事故です。また、原子炉の炉心溶融です。壊れた原子炉から放射性物質が10日間、雲のように放出され続け、大勢の死者と負傷者が出たほか、きわめて広い地域が汚染されたのでした。

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