全国各地に広がる女川支援・リンク集2

女川町議選挙の様子が詳しくレポートされています

2011年11月13日  「あづみのつれづれ日記」村端さんのブログより

11月13日(日)    

 午後8時頃高野さんから電話が入り、投票率99%以上で高野さん第2位(566票)当選、阿部律子さん第3位(539票)当選と伝えてくれました。2人合わせて前回の合計とほぼ同じ1100票ですよ。すごい!!やりましたね。よかった、よかった。
4年前の選挙では高野さんが664票でトップ。阿部さんが443.622票ですから、得票としては今回は前回と同じですが、中身が全く違います。
つまり、高野さんを支持してくれた方々を160人も津波被害で失い、県外に出てしまっている人もかなりの数に上るという状況下でしたから、どんなに見積もっても350~400票が基礎票だったわけです。被災直後、彼は「自分の家が無くなってしまったより支持者を失ったことが辛い」と嘆いていました。亡くなった支持者の方々の無念をすべて掬って、高野さんは見事に当選を果たしたことになります。
阿部さんも、被災者に対する献身的な活動を続けてきたことが有権者に浸透したとはいえ、やはり手探りの選挙でしたが、前回より100票近く伸ばしています。見事というほかありませんね。応援したかいがあります。
直ちにとりくむことが山のようにあるのでしょうが、一日くらいはゆっくり休んで体力をつけて下さいね。

その後のニュースで、最終票が高野博さん567票、阿部律子さん540票で、高野さんのトップとの差はわずか7票。2人を合わせた得票率は前回の15.19%から大きく前進して22.14%に達したことがわかりました。どれほど町民の共産党候補への信頼と期待が高かったかがわかりますね。
県議選でも石巻・牡鹿選挙区で共産党の三浦さんが第3位で見事初当選。自民、民主の現職を落としてです。被災地塩釜でも定数2のところ天下みゆきさんが第2位で当選。宮城県全体では前回の2議席から4議席へと倍増する躍進。被災地の復興と女川原発反対の大きな力になることは間違いありません。

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さて、以下は午前中に書いていたものですが、直すのもめんどうなので、そのままにしておきました。

昨夜で女川町議選、宮城県議選が終了、今日が投票日です。県議選と合わせた町議選だったので、期間も通常より長い9日間。高野さん、お疲れ様でした。最終日には「練り歩き」をやるといっていましたから、町民に囲まれさぞ圧巻だったろうと推測しています。ようやく私が行った6日から10日までの様子を公開することができますね。メモをとっていたので、そのまま紹介します。



11月6日(日)第1日。
さっそく高野さんの街頭演説カーに同乗させてもらって、状況把握にでかけました。
石巻に設置された仮設住宅前3カ所で演説。
「冬の寒さの対策をとらせなければならない。このままではとても冬の寒さをしのげる建て方ではない。選挙後は議会で町の復興の計画を進行することになるが、町民の声をもとに住宅建設や町の計画実現をはかることが必要だ。原発は5機のうち4機まで非常用電源が止まった。一歩間違えば福島と同じになったわけで、原発の危険を叫んできたことが現実のものになってしまった。原発をなくすためにも高野を町議会に押し上げてほしい」
暗くなってからの演説であったせいか、はじめは誰も聞いていないように見えましたが、20戸くらい連なった長屋状の仮設住宅のいくつかから住民が出てきて熱心に聞き始めました。
次の仮設でも同じ。いろんな地域から入居しているために周りの目を気にしているという話も聞きましたが、「がんばってね」「応援してっからね」という声があちこちからかかりました。
さすがに40年のキャリア。しかし、400人の支持者のうち、160人が亡くなったために、選挙はマイナスからの出発です。しかも応援もほとんど期待できない選挙ですから、高野さんは「はじめて選挙に出たときみたい」と感想をもらしていました。
あしたは、選挙カーの運転手のようです。8時出発、夜7時過ぎまでの活動が待っています。
夜は石巻のOさん宅で留めてもらいました。

11月7日(月)第2日。
仮設住宅前で高野さんがマイクを持って演説を始めると、きまって何人かが家から出てきて演説をきいてくれます。世話役活動を続けてきた長い長い歴史が、1人1人の気持ちに伝わっていることが実感されます。
とりわけ、狭く不自由な仮設住宅暮らしを強いられている人々にとって、高野さんの議会での努力がどれほどありがたいか痛いほどわかります。しかし、女川も地縁血縁がらみで表には支持を出せない人も多いと知らされました。これまで全くつながりのなかった人に新しい支持を広げなければならないわけですから大変です。
高野さんの選挙の仕方は、10箇所以上での個人演説会とのべ100箇所近くの街頭での演説。
今日は2カ所で個人演説会。うち一カ所は20人、次は11人の参加でした。




次第に集まる人が増えてきているといいます。個人演説会がすべて終わる頃には百数十人が(9日現在111名)が直接個人演説会に足を運んでくれることになるでしょう。
話のあと懇談に移ると、きまって次々と出されるのが仮設住宅の作りの貧弱さ。「隙間から風が入り込む」とか、「向こうの光が見える」、「きしみが激しい」、「入居してすぐなのにもう老朽化している」とかという信じられないような話ばかり。直ちに行政に改善を求めていくという高野さんの決意に一同深くうなずいていました。そこで聞いた要望のうち、すぐに改善すべき項目は直ちに町に申し入れるというのが高野さんの流儀です。


浜で「ほたての耳つり」をしている漁師さんたち十数人の中で懇談している中で、その1人が「こうして漁が再開できるのはうれしいが、原発で何か起こればそれで終わりだっぺ」という声があったということ。豊かな海を原発で汚されたくないという漁師たちの痛切な思いが伝わってきます。


高野さんの話は具体的で住民に寄り添う立場が鮮明。住民の方も絶大な信頼を寄せていることがわかります。最初の頃は共産党というだけでそっぽを向かれる時期が続いたということ。それを1つ1つ道理を尽くして打ち破ってきたわけですから、こうしたつながりをつくってきた高野さんご夫妻の努力は並大抵のことではなかったでしょう。議員の活動とはすべからくこのようであってほしいという典型だろうと思います。

夜は事務所で1人残留。十月の支援のときはみんなでごろ寝をしていましたが、今日は1人。午後九時すぎ、津波で流され静まりかえった周りはまさに異空間です。今日は早く寝て、明日は早起きをして散歩することにしますか。

11月8日(火)第3日。


午前中はフリーだったので、針の浜で世話になったKさん宅におじゃましてご両親と話をしてきました。
父親はちょうど仕事のために山に入り重機のそばで立っていたときのこと、この世のものとも思われない揺れに襲われ、杉の花粉が地震の縦揺れのためかノコギリのように何度か木立の上に立ち上るのを目撃したと話していました。
選挙の話になって「高野さんは神様みたいな人だ」というのには驚いた。帰ってから「とうとう神様になったね」と冗談めかして言うと、隣にいた人が「それじゃ奥さんは仏さんだね」とますます調子にのって大笑い。
その後、最近店をはじめた魚市場に飛び入りし、寿司を買いながら池田で予定しているイベントのサンマの仕入れについて情報を得てきました。そこでは最近昼食時に寿司も出しており特上で1600円。なかなか良心的にやっているように見えました。大口の卸が専門だという主人は、いろんなところから支援をもらってありがたいと話していました。

午後からは車の運転手として個人演説会場や街頭での演説に出かけました。
石巻市にも女川町の仮設が何カ所か建てられています。そこではたくさんのお年寄りが駆けつけてくれ、会話しながらの説明にいちいちうなずいていました。


寒い中暗くなってからの街頭演説でも、わざわざ外に出てきて「がんばって、応援してっから」と手を振ったり握手を求めたりする人が絶えません。どれほど彼が信頼され頼りにされているかを目の当たりにして、ジンとくるものがあります。石巻から県議選に出ている三浦さんも同じように、町の人たちが待ちかねたように集まってくるという話も聞きました。
多くの支持者が亡くなっても、それに倍する支持者を作り出していく彼の活動こそ日本共産党の姿なのだと思わないわけにはいかない。何とかして高位当選を果たし、東電や高野さんの追い落としにかかっている勢力に一矢を報いてほしいものです。

11月9日(水)第4日。
「本当に困っているときにニンジン一本、大根一本を届けてくれたのは高野さん。これがどんなにうれしかったか。どの党だからではない」。その一言がこの選挙のすべてを物語っているような気がします。
浜に行ったときに、働いているほとんどの人が高野さんのまわりに集まってきて懇談がはじまる。それはある意味では驚異的な光景です。もちろん長い長い年月をかけて築いてきた信頼関係なのでしょうが、高野さんに言わせると「ただ頭を下げていただけだ」ということになる。


「高野さんは、ずっとまえから人の話に耳を傾けてくれる。話を聞いてすぐ行動に移してくれる。他の町議はそうではない」という人もいたし、今日も仮設住宅を回っていると、高野さんが来たというだけで寒い中外に出て歓迎し励ましてくれる。それはほとんど親しい身内感覚、いやそれ以上かもしれません。だから、応援に来た誰もが逆に励まされて帰ることになります。


ちなみに2枚目の写真は浜に建てられていた津波の碑。昭和8年3月3日三陸地震・津波を記念する碑です。それには「大地震のあとには津波が来る。地震が来たら津波に用心」とありました。
3枚目は、浜で「ほたての耳釣り」をする地元のみなさん。ほたての稚貝をつるすための準備です。






早くに建てられた仮設住宅では、結露がすごいという。「窓はもちろん鉄板の壁面にも露がついて、布団さえぬらしてしまう。朝の仕事はまず結露を始末することだ」という話も聞きました。
個人演説会では「風呂の追い炊きができないので、はじめに入る人は45度くらいにして入る」とか「3.11の午前中に山へ逃げる避難階段ができあがって、それで命拾いした」「港に船が入ってこないと女川はだめになる。大きい会社を1つでも2つでもつくってほしい」などの意見も。


おそらく仮設住宅に入っている3,4割の人から頼りにされているのではないかと思われるほど。当選はもちろん、圧倒的な支持で当選を勝ち取るのではないかと思われました。
しかし、当然のことながら油断は禁物。他候補は「高野は大丈夫」を常套手段にして票をかすめとるわけですから、気をひきしめて最終盤をたたかわなければなりません。
町民はこの震災で誰が何をしたかを一番よく見ている。自分のことはさておいて、町民のために身を粉にして奔走した人が高野夫妻であり、阿部律子だったことを見抜いている。前回までと異なっているのはその点。隠れた支持がどれほどあるかわからないほどです。
だから、選挙はまさしく日常活動の結節点、集約点なのです。全国に高野さんの教訓を伝えなければならないでしょう。

今日でミッションは無事完了。あしたはサンマの予約をして帰途につきます。
夜は高野さんの「新居」(3階建て仮設住宅の3階)に招かれて夕食をごちそうになりました。サンマの刺身がうまかった。ごちそうさまでした。
最後になってようやく仮設住宅に入れたわけで、そのくつろぎの気持ちはひとしおでしょう。一階建てプレハブとは異なって結構頑丈にできていて、外観はちょっとしたアパート。中もそれなりにつくってはありましたが、狭さやしつらえの悪さなどはこれからだんだんはっきりしてくることでしょう。
ともかくぐっすり足をのばして休めるわけですから、選挙戦の疲れをとってほしいと願っています。



11月10日(木)第5日。
いつものように朝早く起きて、事務所の掃除、朝食、後片付け。その後帰り支度をしました。7時過ぎには高野さんが事務所にやってきて、8時には選挙カーで街頭演説に。
「吉報を待っています」と挨拶をして、私は帰途につきました。