< 女川原発 >

No. 書込日時 メッセージ
43   2012年11月26日 9:42
危なかった女川原発
11月26日  「その時女川原発はどうだったのか」 講演会資料
講演会ではDVDで福島の現実を見ていただき、新たな市民運動の広がりも少し紹介された今年の5月完成のDVD(全国連絡会作成)を上映してから、お話をするようにしています。
きょうは、パワーポイントで使っている資料とPDFの資料を添付します。
 パワーポイント版 PDF版 解説付き講演概要
42 2011年10月16日 4:11
原発ゼロをめざす宮城県民集会 
10月15日
宮城県で原発問題だけで野外で集会が開かれ、デモ行進が行われたのは本当に久しぶりではないでしょうか。ここまで来たと情勢の大きな変化を感じ企画し実現されたみなさんに深く感謝したいと思います。ともに頑張りましょう。選挙目前でとても参加できない状況ですが、頑張って参加しました。参加できて本当に良かったと思いました。みんなに会えました。 (Photo
41  2011年10月16日 4:14
北海道 原発全国交流集会
 10月7日〜10月9日
原発問題住民運動全国交流集会に参加してきました
まさに、これまでの運動の成果の上に、新たな原発ゼロを目指す運動の構築に向けた議論が活発に行われた集会でした。北海道のみなさん御苦労様でした。7日に飛行機で北海道にわたりました。機内から太平洋を見ると多くのガレキが流されているのが見え、3・11東日本大震災は本当に想像を絶する災害だったと実感しました。8日は朝早くからバス3台で泊原発を視察、途中泊原発周辺で断層の学習をしてきました。9日は交流集会です。私も女川原発の現状を報告しました。 (Photo)
40  2011年10月1日 20:45
写真にして送ります
 10月1日
シンポジウムで配布した資料です。パワーポイントで作成したのですが重くてメールできません、写真にして送ります。(画素数の粗いPDFファイルにしました。少し見づらいかも知れません...情報ボランティア)
あちこちで、欲しいと希望が殺到しています。
女川でも「やらせ」が発覚しました。やっぱりと思うと同時に、真面目に取り組んでいる私たちを嘲るような仕打ちです。決して許せるものではありません。厳重に抗議したいものです。 (シンポジウム配布資料)
39  2011年10月1日 20:25
あの日、女川原発は・・・ 
 10月1日
仙台の弁護士会館で原発シンポジウムがありました。350人以上の参加でびっくりしました。吉井衆議院議員の話の後、女川の実態を30分かけて報告させていただきました。 (Photo)
38    2011年9月27日 8:17
県母親大会
 9月25日
宮城県の母親大会が白石市で行われました。被災者への想いを込めて開かれた大会でした。1700名を超える盛大な大会でした。私は3.11後何が起こったかという報告のコーナーで、女川原発のこと、県内で行われた女性や母親が中心になった学習会のこと、野田総理が原発推進の演説を国連で行なったこと、今こそ原発ゼロへ、「いのちを生み出す母親は、いのちを育て、いのちを守ることを望みます」というスローガンが輝いている時はない と訴え放射能から子供を守る運動を強めようと締めくくりました。女川から10人が泊り込みで参加しました。
37  2011年9月20日 18:34
仙台太白区で
 9月19日
仙台太白区の楽楽ホールの中会議室で、原発の学習会が開かれた。太白区の年金者組合や新婦人の会、国民救援会のみなさんでした。そこに福島の南相馬市から避難してきたご婦人なども参加され、会場いっぱいで元気の出る集会でした。私と庄司弁護士がそれぞれ、3月11日に女川原発はどうだったのか、チェルノブイリ原発を視察してと題してお話をしました。みんなで女川原発の再稼働を許さぬ運動と被曝した子どもたちの健康診断を長期にわたって実施するよう求めていこうと語り合いました。
36  2011年9月18日 21:25
鹿島台 原発学習会
 9月17日
 鹿島台で開催された、原発と放射能を考える懇談会。大盛況で、3歳のお子さんを持つお母さんから真剣な取り組みが報告され、質問や意見が出されました。精一杯の言葉でお答えしましたが、十分伝えられたかどうか不安でした。質疑のなかで、今日は明確に原発を廃炉にしようと心から呼びかけることができました。元鹿島台町長さんの話は心打つものがありました。 (Photo)
35   2011年9月12日 7:30
大崎健康まつりで
 9月11日
 大崎健康まつりで 記念講演をと依頼され引き受けてしまいましたが、本当に始まる前まで緊張の連続でした。何を話したらよいか分からず、時間配分がうまくいかず、最後は支離滅裂だったのではないでしょか。村山さんごめんなさい。
でも話にうなずいて聞いてくれる御婦人の皆さんがおられ、なんとか28分持ちこたえました。ありがとうございました。 (Photo)
34 2011年9月12日 7:25
アルジャジーラ放送局のインタビュー 
 9月10日
 石谷さんの紹介でアルジャジーラの記者のインタビューを受けました。彼女の名前はわかりません。名刺は頂いたのですが・・・。それにしても「地震や津波が頻発するところに原発が建つのは危険ではありませんか」と質問され、私は「そのとおりです」としか言いようがありませんでした。外国の記者から見ても日本の原発政策は異常に映るのでしょうね。
緊張してしまいましたが、終わってホッとしたところです。 (Photo)
33  2011年9月12日 6:38
大河原町 学習会
9月3日
大河原の原発学習会に参加しました。母親連絡会主催でした。いっぱい質問も意見も出されました。参加者は約60人ぐらいだったでしょうか。 (Photo
32  2011年9月11日 20:26
科学者会議シンポ
 8月27日
岩手大学で開かれた日本科学者会議に参加してきました。野口先生の放射能の話が大変参考になりました。いま放射性物質セシウム137と134が環境に残っていて、被曝の原因になっているが、134は半減期2年であり、あと30年以上もたたなければ放射能は減らないということではない、あと5,6年で大きく減少する。そのためにもいま放射能の除去作業が大切だと説明されたときは、なるほどと思いました。みなさんにこの話を広めていきたいと思いました。
翌日もシンポジウムは行われていましたが、28日は名取の学習会があるので、失礼いたしました。児玉先生や舘野先生にご挨拶できてよかったです。立石先生にお会い出来ず残念でした。
31  2011年9月11日 20:10
上関原発に反対する人々が
 8月25日
山口県上関原発に反対する2市4町議会銀連盟の仲間2人、小中進さんと國本悦郎さんが、女川原発の視察に訪れました。阿部律子町議と一緒に女川原発を案内しました。それにしても津波の被害の甚大さ、特に宮城県原子力センターや原子力防災センターの破壊状況を見て、「原発賛成されている方々にこの惨状を見て欲しい」と語っていました。
ご一緒に写真を撮ったのですが、メモリを挿入し忘れ挙句にカメラそのものを小中さんたちの車に置き忘れ大変ご迷惑をおかけしました。
30  2011年9月11日 20:37
名取の学習会
 8月28日
 轡先生と私の二人でお話できました。特に轡先生は薬剤師の方で放射能の話をしていただき本当に助かりました。私は女川原発を中心に話しました。
感想のまとめを大沼市会議員が送ってきてくださいました。 (Photo)
29  2011年8月18日 6:02
平和委員会が
 8月2日
議会の合間を縫って、平和委員会のみなさんと懇談する機会を得ました。みなさんは既に女川原発をご覧になり、ちょうど昼食時間でしたが、私たちの都合に合わせ、学習の時間を30分とってくださいました。会場は阿部律子町議が旭が丘集会所を確保してくださいました。
私は、手短に原発のそもそもを語り、原子炉の水と海水が循環し、原子炉を停止しても発生する膨大な崩壊熱を海水で冷やす、熱交換をしていなければ、炉心溶融がおき、水素が大量に発生して爆発を起こしかねない、福島第一原発はこうして大事故になってしまった。女川原発も、5系統の外部電源の内、4系統が地震で遮断し、わずか1系統で冷却するという状態。1号機では火災が発生し、2号機では海水が1900トンも流入し、4台の熱交換器のうち、2台が水没し使えなかった。津波の高さは13mで、敷地は13,8mという紙一重の実態だった。フクシマは我が身になりかねなかった。と訴えました。
28  2011年7月24日 19:56
岩沼市で学習会
 7月23日
新婦人の会の主催で、多くの市民も参加されて原発の学習会が行われました。
そこには懐かしい人が多くて・・・
渡辺康子さんは女川出身で妻の和子さんが務めていた石垣病院の仲間も。
でも、話の中身は、みんな真剣で、自ら放射能測定をされていた方もおられ、詳しく話していただき、大変参考になりました。(Photo)
27 2011年7月22日 19:26
亘理町で放射能の学習会
 7月18日
亘理町で、原発・放射能の学習会。
なんと60人以上の参加で盛り上がりました。
私の妹夫婦も参加してくれました。
次々と質問が出され一人で答えるので、その時は疲れました。
でも「わかりやすかった」との感想を述べていただき、何かつかんでお帰りになったのかなと思います。
原発ゼロの社会をめざしましょう。(Photo)
26  2011年7月10日 12:56
白石で原発学習会
 7月6日
6時半からの集会に7時半に到着というご迷惑をおかけしましたが集会に参加されていたみなさんは、根気づよく私を待っていてくださいました。
心から、お詫びと感謝を申し上げ、話をさせていただきました。
終わってから、「4回こうした話を聞いたが、一番話がわかりやすかった」と言っていただき、私でお役に立ったのかなと胸をなでおろしました。
放射能測定器も持っていきました。
多くの方が実際に測定されていました。共通の話題で盛り上がりました。
水落市会議員さんたちの、「子どもたちを放射能から守りたい」という市民の声に応えての誠実な頑張りが多くの市民に伝わって欲しいと願っています。
25   2011年7月10日 12:56
原発ゼロをめざす緊急行動2
 出会いがいっぱい
新婦人の会のブースで挨拶する高野和子さん
目黒の星見てい子区議が頑張っていました
杉並区の若手三人組 区会議員さんたち(Photo)
24 2011年7月10日 12:56
原発ゼロをめざす緊急行動に
 7月2日
今日は孫のさやちゃんと、和子さんと三人で東京の明治公園で行われる原発からの撤退を求める緊急集会に参加しました。
朝4時に起きて、石巻5時半のバスに乗り、仙台から新幹線に飛び乗って、東京まで行きました。
会場にはひとひとと2万人以上集まり、伊東達也呼びかけ人の話や志位和夫委員長の話を聞き、勇気をいただきました。
会場では宮城県の庄司弁護士や40年ぶりでお会いする柴野元赤旗記者、杉並区の若い区会議員さんたち、東京目黒区の星見てい子区会議員さんと仲間たち、そして、帰りの東京駅で佐藤尚也ご夫婦とも会いました。
原発に取り組んでこれまでにない規模の集会に時代の変化と情勢の変化を感じました。(Photo)
23   2011年6月27日 12:04
塩釜革新懇のみなさんと 
 6月24日
塩竈市で福島の伊東達也さんとご一緒に福島原発、女川原発で何が起きたのかと題して、講演をさせていただきました。
250人以上の参加で盛会な講演会でした。
紙一重だった女川原発の実態をパンフにして欲しいと言われました。
会場で20年ぶりに選挙でアナンスをしてくれた方にお会いすることもできました。
また、会場では多額の被害救済支援の募金を寄せていただきました。
ありがとうございました。(Photo)
22   2011年6月27日 12:04
青年法律家協会の皆さんと
 6月22日
仙台の弁護士事務所に青年法律家協会の会合で、女川原発のことをお話する機会を与えていただきました。
阿部律子町議と一緒に参加しました。
はじめに、小野寺弁護士が女川原発の実態をご報告されたので、私は本当に何を話したらよいか戸惑いましたが、なんとか補足する形でお話させていただきました。
懇親会で、二重債務の解消に向けた署名用紙をいただき、頑張りたいと決意を述べてきました。
21 2011年6月19日 18:31
放射能測定器 
 6月19日
東松島市の市会議員、長谷川博さんが訪ねてきました。
放射能測定器を持参し、女川原発のま近小屋取浜で
測定をしました。
0.25マイクロシーベルト/h に達しました。
ちなみに運動公園では0.19マイクロシーベルト/h でした。(Photo)
20  2011年6月19日 18:20
古川Fプラザで
 6月18日
原発問題運動宮城県連絡センター主催で古川Fプラザを会場に原発問題学習会が開かれました。
私は女川原発で3月11日も4月7日も外部電源が5系統のうちたった1系統しか使えなかったこと、2号機では海水が1900トンも入って熱交換器が2台使用不能になったこと、1号機では火災が発生していたことなどを話し、紙一重で助かったと訴えました。(Photo
19  2011年6月14日 19:33
オーストリアの記者が
 
兵庫県から 
 6月13日
ドイツもスイスも原発からの撤退を決めました。
イタリアも国民投票で圧倒的に原発ノーです。
オーストリアの記者が取材に来ました。(Photo)

兵庫県から、科学者や労働組合の方が視察に見えられました。
女川原発のことはほとんど知られていませんでした。(Photo)
18   2011年6月18日 4:42
角田民商支部総会で
 6月8日
角田民商支部総会で原発の講演
「各地でお医者さんによる講演はありますが専門的で難しく、その点、私たちの目線でお話しくださり
どう考え、どこに何を要求したらよいか教えていただき参考になりました。」との感想を寄せていただきました。
身に余るお褒めの言葉ですが、それを励みにこれからも、原発の語り部として、お役にたちたいと思います。(Photo
17  2011年6月10日 19:56
長野からの友人
 6月10日
長野県からわざわざ清水優一さん夫婦と娘さんが訪ねてくれました。
本当にうれしかった。
伊藤さんと心待ちに出迎えました。
清水さんが「プルサーマルアンケートの資料を持っている」と話してくれ、そのほかの資料も含めて、送ってくださると言われ、天まで上るうれしさです。
自分たちの地を這うような活動の記録が戻ってきてくれる・・・
今日は最高です。
16 2011年6月10日 19:50
原発学習会1
 6月8日
宮城県角田市の角田民商の総会で記念講演として、原発のこと、放射能のことを話してきました。
角田市は私の育ての母の故郷で、子どもの頃よく遊びに行って桑の葉摘みや、麦踏み、ヒルにかまれながらの田植えなど懐かしく思い出しました。
話は学者でないので、大雑把で申し訳ありませんでしたが、「わかりやすくよかったです」とわざわざ今日も電話でお礼を言われました。
それにしても小学校の校庭の放射能測定値0.488マイクロシーベルト/h と思ったより高く感じました。
女川原発が現在0.21マイクロシーベルトです。
普段は0.03マイクロシーベルト程度でしょうか。
15 2011年6月4日 6:17
原稿ができない 
 6月2日
自由法曹団の原発学習会に呼ばれてから、6月は少なくとも6回、学習会の講師として、お話をする機会を与えていただきました。
原発と放射能の危険を、国民的規模で議論する良い機会です。
断る理由はありません。体調の許す限り頑張ろうと決意しています。
ところが、資料が何もかも流されてしまい、何をどう準備したらよいのか悪戦苦闘中です。
14  2011年6月4日 6:03
原発連絡センター
  6月1日
庄司捷彦弁護士と仙台へ。
原発問題住民運動宮城県連絡センターの会議に参加。
宮城県と東北電力への申し入れや、学習会、総会の日程など相談しました。
丸森や大崎で牧草から放射能が基準を超える検出されるなど福島第一原発事故の影響が次々と現れる中、私たちも精度の高い放射能測定器を用意しなければと語り合いました。
13  2011年5月28日 7:03
原発対策特別委員会
 5月26日
原発対策特別委員会に東北電力の発電所所長らが来て、東日本大震災による女川原子力発電所の状況について説明がありました。火事があった地、浸水もあったが、とにかく、止める、冷やす、閉じ込めるの機能は全部発揮、福島とは違い女川は安全に止まっているといわんばかりでした。
 私は「福島原発の教訓をどう認識しているのか、これまでスリーマイル島原発事故では原子炉の型が違い女川は安全だ。チェルノブイリの建屋もない原発と違い日本の原発は厳しい安全審査を儲け、技術的にもすぐれ安全だ。しかし今福島原発では炉心溶融を起こし、住民が県外まで避難して家うではないか」とただしました。また「東日本大震災の状況説明なら、4月7日の地震も含め、なぜ二度も新しい基準地震動を超えたのか説明をすべきだ。どうしてそこを外すのか。津波対策として防潮堤の設置などの対処措置だけでことを済まそうとするのか」とただしました。
12  2011年5月26日 5:58
原発学習会1
  自由法曹団のみなさんと女川原発の現状について学習会をしました。わからないことだらけだということがわかり、本当に良かったと思っています。
3月13日女川原発で、平常の677倍の放射能を記録したことについても、議論が出ました。女川の漁民が本当に風評被害を心配していることを報告しました。福島では東京電力相手に仮払いの請求が行われていることも報告されました。県の原子力防災計画はなんだったのか、問題提起されました。「もっと資料を集めよう」となり、住民にとって頼もしい方々だと感じて帰ってきました。(Photo
11  2011年5月19日 8:09
我が身に放射能?
  宮城県の丸森や大崎の牧草に放射性物質セシウムが検出され、牛乳が出荷停止に・・・ラジオで聞いたので不確かですが、いよいよわが宮城県まで及びました。
実は女川原発で21マイクロシーベルト一時間当たりという高い放射泉量の測定が3月13日に発表されてから、私はこの問題を追いかけてきたのです。どう考えていいのかと。女川原発が原因か、それとも100キロ以上に広範囲に汚染がされているのかと・・・
いづれにしても大問題ですから。
10  2011年5月18日 21:38
女川原発に入る
 5月14日、日本共産党の吉井英勝、高橋ちづ子衆議院議員と横田、遠藤県議、そして私が女川原発の視察にお伺いしました。今回は、倒れたタンクや浸水した熱交換器の原子炉建屋、そして火災を起こした1号機にも案内していただきました。浸水した熱交換器が半分以上水につかったこと、ポンプが動かなくなったと説明され、なぜそんなに海水が浸水したのかもう一つ理解ができませんでした。思わぬところに危険が潜んでいることに恐怖を感じました。
 その間、避難所になっている体育館を訪れ、一人一人に話しかけて激励をすることができました。一日も早く仮設住宅や住まいをと訴えられました。
2時過ぎにやっと原発を出て、破壊された浜浜の姿を県議が写真に収め、帰路につきました。
 その後、仙台で開催されている日本科学者会議宮城支部と福島支部の共催で福島第一原発問題シンポに参加しようと、高速道路を飛ばそうと走りましたが、渋滞でほとんど70キロ。やっと10分前に会場に着き、5分程度あいさつをさせていただきました。会場には今まで見たことがないほど人がいっぱい参加していました。日本の原発政策の根本的転換を図る大きな流れが生まれつつあるのではないでしょうか。
9   2011年5月14日 6:28
チェルノブイリ原発で
 5月13日、5年前、チェルノブイリ原発視察にご一緒した山下さん、出馬さんからお見舞いをいただきました。ありがとうございました。電話に出られた出馬さんはいつもお元気で明るく、その声を聴いただけでこちらが元気になります。お二人とは三重県海山町での原発住民投票で大変お世話になりました。地域で根を張って頑張っている姿に多くのことを学ばされました。福島原発の事態の推移をみるにつけ、荒涼としたチェルノブイリの廃墟を思い浮かべます。志位さんが提起したように、なんとしても早く収束させる必要があり、そのために英知を結集すべきです。いずれにしろ私は女川の町が大好きです。ここでもうひと頑張りです。
8  2011年5月5日 13:46  5月4日の朝、5時半、女川原発を見に行こうと、4人で出かけました。途中でまだがれきのまま破壊された浜浜を見て、本当に生活と漁業が壊滅した姿を目の当たりして胸が締め付けられる思いがしました。また、女川原発の敷地が14メートルあって、13メートルの津波に耐えたといわれていますが、敷地の高さもそんなに高いとは思えず、本当に紙一重で助かったのかと感想を語り合いました。
 5月4日昼、今度は、東京から来た夫人と岩手県一関の方が女川原発をぜひ見たいというので、ご案内しました。道々原発の話をし造詣の深さを感じさせられました。それにしても、女川原発の外観の様子が少しおかしいと思いました。多くの人に原発のこと、労働者被ばくの上に成り立つ原発について考えていただけたらと思いました。(Photo
7  2011年5月3日 19:38  石巻市で石巻地方労連などを主催にメーデーが開かれました。私は女川原発の経験を話、福島第一原発事故を教訓に、原発安全神話の一掃、総点検、プルサーマルの撤回、規制機関の独立、原発依存から自然エネルギーへの転換を今こそ求めていこうと訴えました。
大学時代の同級生、松田さんが道路冠水の中、会いに来てくれました。電卓を持って・・・。(Photo)
6  2011年4月26日 19:34  今日、宮城県知事が女川原発を視察し、「再開はただちに容認できない」と話したそうです。当然です。基準地震動を超える揺れを記録し、津波で海水が浸水しました。これまでも何度も隠し事を繰り返してきた東北電力です。住民は「女川原発は何か隠している」と根深い不信を抱いています。
5  2011年4月12日 20:29   福島第一原発の事故は炉心溶融に至り、いまだに制御出来ずにいます。それも1号機から6号機までに及びます。正常に冷却できないのですからあきれ果てます。放射性物質に汚染され、いつふるさとに帰れるか、深刻な事態。評価7は当然で遅すぎます。
4  2011年4月7日 19:55   共産党の穀田議員の頑張りで女川町にも交付金が出ることになりました。本当によかったです。
3 2011年4月6日 20:12   国は被災自治体に6月の地方交付金を繰り上げて交付するとのこと。ところが女川町は原発で不交付団体だから出さないという。共産党の穀田議員がすべての自治体にと頑張ってくれました。国会議員が何人きても、と町幹部。町の7割も津波で破壊尽くされた町への非情な対応をぜひ知っていただきたい。
2 2011年4月3日 6:28 情報が少なく不安ですが、これまで東京電力で起きている事は大抵女川原発でも起きています。また、原子力防災センタは津波かぶり、肝心な時使えませんでした。
1 2011年3月31日 5:49 女川原発の情報があまりに少ない。かえって心配です。

書込み開始 2011年3月31日~

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