No. | 書込日時 | メッセージ | ||
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18 | 2011年10月2日 19:00 さんままつり |
10月2日 今日は待ちに待ったさんま祭りです。町内を対象にしたお祭りとささやかに行われましたが、結構あつまりました。やっぱり女川の秋はさんまです。これからも着実に復旧し、サンマ本州日本一の水揚げを」目指して欲しいものです。 太鼓共演、子どもの潮騒太鼓、美味しいさんまのすり身汁、さんま炭火焼、会場の風景です (Photo) |
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17 | 2011年9月27日 7:59 台風15号爪痕 |
台風15号爪痕 (Photo) | ||
16 | 2011年9月27日 7:01 台風15号襲う3 |
9月23日 清水地区だけでない、私の家も大変でした。と知り合いの方から話をされびっくりした。早速、現場に行ってみたら水路のそばの家は一階が水びだし、家具などを出して大変な事態になっていました。幸い障害を持つ勝彦さんは近くの仮設住宅の集会所に避難して無事だとのこと。それから、石浜でも被害があるとの話、そちらにも足を運びました。山津浪という言葉通り、石や砂が家に押し寄せ今にも押しつぶしそうでした。津波で助かった人が今度は台風で家が水びだしにされ避難生活を余儀なくされる事態です。 |
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15 | 2011年9月27日 6:44 台風15号襲う2 |
9月22日 台風は過ぎ去り、清水の仮設住宅のみなさんにお見舞い申し上げ、現場を視察しました。山から滝のように川が流れ、護岸を破壊し濁流のように暴れまわったあとが随所にありました。幸いに、床上浸水はなく、人的被害もありませんでした。せっかく手をかけた畑は泥だらけでした。いずれにしても避難勧告が出されたのですが、伝える手段が不十分で、役場職員が一軒一軒戸を叩いて歩いたようです。新聞記者に電話連絡を受けた女性の方は隣近所に大声で伝えて歩き、集会所に避難させてくださったようです。ある方から、夜中に戸を叩かれてもおっかなくて出られない。インタホーンがあればよかった。また、集会所が低いところにあり、家にいたほうが安全と戻った人が多かった。役場から自衛隊が来て助けてくれるから集会所に集まれと言われたが、問題だよね、と話された。 |
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14 | 2011年9月27日 6:30 台風15号襲う1 |
9月21日 私が歯医者に11時予約を取っていたので、町立病院まで車で行きました。ところが、帰りは道路が水没し、車は走れないと止められました。仕方なく、町立病院の駐車場に車を置いて歩いて帰りました。途中、抜け道があることを思い出し、知り合いの車に便乗し総合体育館まで帰ってきました。 息子は、町には入ったのですが途中で行き止まり、照源寺というお寺の駐車場で一夜を過ごしました。 夜10時過ぎ、ある新聞記者から「女川町の清水地区の仮設住宅が台風の襲来で孤立している」との連絡が入りました。私たちが避難している総合体育館も隣の多目的運動場に設置した仮設住宅から20人ぐらいが避難してきました。床下に水が入ってきて怖いと話していました。確かに、仮設住宅は建てるだけで、側溝など水はけの配慮は全くされていません。清水地区は完全に孤立し、自衛隊も役場までやっと来るだけで、そこから動けないようでした。 様子は次の日伺うことにしました。 |
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13 | 2011年7月27日 18:54 仮設住宅に網戸を |
7月27日 今日建設課に行き、課長にお会いし一昨日のお礼をしました。 すると早速田中建設がポンプを設置するよう手配したこと、 2,3日か遅くとも一週間ぐらいで実現できると思いますと説明してくださいました。 さらに担当課長さんに、町長宛の玄関網戸についての陳情書を手渡しました。課長はこの件は部下に指示しています。 問題は既に自分で設置された方へどうするか、検討中です。 少し時間が掛かりますが、よろしくお願いします との返事でした。 この件は、建設課の人、総務課長などに以前から口頭で、要望していたことです。住民の要望も強いので文書で申し入れました。(陳情書PDFファイル) |
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12 | 2011年7月26日 3:06 冠水対策を |
7月25日 私と阿部律子町議は針浜の地盤沈下による冠水問題で共産党の県議団(横田有史、遠藤いく子)のお力添えを得て宮城県東部土木事務所に陳情に伺いました。 県の方で、町の建設課に連絡してくださって同席していただきました。 阿部律子町議は実態を写真に撮って必死に説明しました。 県土木事務所の所長さんは、「排水ポンプ4台あります。そのうち3台を針浜と猪落に設置してもいいです。管理と維持費を町で持っていただけますか」と、話をきり出しました。 町の建設課長は「上司と相談してから」と煮え切らない態度です。 もう宮城県の方針は決まっていて、町が経費を持つかどうかだけ、そのために町の職員をお呼びしたのだとわかりました。 そこで私が「せっかくの3台、よそにもっていかれては困る。 早い者勝ちではないか」と町に決断を促すと、建設課のみなさんも「せっかくだから、災害対策費で見てもらおう」などと話し合い、早速次の満潮が来る前に排水ポンプを設置することになりました。 部落のみなさんが喜んでくれると良いのですが・・・。(Photo) (陳情書PDFファイル) |
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11 | 女川町暮らしの情報 | 基本的な情報です (女川町発行 「暮らしの情報」5月15日付け) | ||
10 | 2011年5月28日 12:04 最終申込書 |
仮設の最終申込書の書類です 希望者を把握するとのことです 地域の希望もとっています(緊急仮設最終申込書) |
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9 | 2011年5月18日 21:38 チラシ配布 |
5月17日、江東区の正保議員さんたち3人が、避難所を中心に「女川民報」<希望>の第一弾を、第二支部の和子さんと一緒に配布してくださいました。500枚ぐらいでしょうか。その中で、「ここにいる人たちは女川に残りたいと思っている人だから、大事にしてほしい。何よりも情報がほしい」とか「仮設診療所のことが知りたい」など意見が寄せられ、「埋葬費用のことはじめてわかった」とチラシを読んで感想を寄せてくれました。(女川民報PDFファイル) | ||
8 | 2011年4月29日 19:51 | お待ちかねの生活支援金と災害弔慰金、それに義援金の支給手続きを5月16日から始めます。罹災証明書や身分証明書、印鑑、世帯主の貯金通帳の写し、貯金通帳の写しなどを用意してください。 | ||
7 | 2011年4月22日 21:02 | 女川でも災害時FM放送が始まりました。松木達徳さんたちの活動のおかげです。 | ||
6 | 2011年4月18日 20:22 | 今日共産党の議員団会議で町営住宅の人も、貸家に入っていた人も、生活支援金が受けられる可能性があり、罹災証明書をとっておく必要があることがわかりました。また、埋葬費最高二十万一千円が出ることもわかりました。皆さんにお知らせしなければなりません。がんばりましょう。 | ||
5 | 2011年4月12日 20:06 | 今日は一中の入学式でした。66人の新入生が門出を迎えました。来賓で出席した私はおめでとう、ともにがんばりましょうと声をかけました。 | ||
4 | 2011年4月5日 19:41 | 罹災証明書の発行は4月7日からとなりました。 | ||
3 | 2011年3月31日 5:20 | 町立病院はこのまま。協会への指定管理は半年後に延期したいとのこと。 | ||
2 | 2011年3月31日 5:13 | 罹災証明書発行は4月4日からです。 | ||
1 | 2011年3月31日 5:07 | 仮設住宅希望申し込みは4月14日まで |
書込み開始 2011年3月31日〜