女川町情報 < 支援活動 >

No. 書込日時 メッセージ
33  2011年11月23日 17:20
支援物資
 今日大田区の和田正子後援会のみなさんが女川まで来てくださいました。その時、たくさんの支援物資が届けられました。本当にありがとうございます。登山女子ランナーズのみなさんをはじめたくさんの方々の暖かいご支援に感謝します。これから女川も寒くなります。妻が外孫が生まれそうなので、手伝いに仙台の娘のところに行っています。そんなこともあって、12月中旬までには仮設住宅にお住まいのみなさんに届けられるよう、企画して参ります。写真などは三浦さんにも届けます。
32 2011年10月29日 19:47
支援物資提供のお願い 
 女川町の仮設住宅で、日本共産党の石巻災害救援センターのみなさんが無料青空市を開催したとき、被災者の方から直接「こんなものがないか」と問い合わせがあり、救援センターでいろいろ探しお届けしましたが、残念ながら、足りないものが出てきました。それは、ドライヤー1個、電気コタツ2個、こたつ布団1個、圧力鍋1個、自転車の空気入れ1つ、アイロン6台、ミシン2台です。どなたか余っているものがありましたら、ご協力いただけると助かります。送り先はご協力いただく方に直接ご連絡したいと思います。連絡先をお知らせください。よろしくお願いいたします。
31 2011年9月18日 21:42
国民救援会のみなさんが 
 9月18日
国民救援会の皆さん約40人以上で女川の支援に来ていただきました。ご支援にこられた方々のお力で、やっと、仮設住宅に入居された各浜へ、石巻の流留へ米と野菜のお届け隊を送ることができました。その上、女川原発の近くまでバスを走らせ、現地で少し皆さんの質問に答えることもできました。本当にご苦労様でした。それにしても、前に平和委員会の方々がおいでの際、昼休みの時間を借りてご挨拶した内容が、「宮城県の平和新聞」にしっかり文章にされて報告されていたのに驚きましたし、本田勝利さんの報告も厚みのある立派なモノでした。いずれにしろ、地元女川から阿部律子町議をはじめ、高野家総出でお迎えでき、嬉しかったです。写真は孫の「さやちゃん」が重い野菜などの支援物資を車に載せるためにお母さんと持ったり、一人で運んだりしてくれました。 (Photo)
30  2011年9月11日 19:55
関連死の相談
 8月23日
避難生活中に体調を崩し、死亡された方の相談にのってきました。関連死の申請にむけて手伝いました。難しいとのことですが・・・。奥さんから「是か非かでなく段階的に認めてくださればいいのに」と言われました。グレーゾーンのある問題だけになるほどと思いました。
29 2011年8月18日 6:02
 個人ボランテイアで
 8月7日
塩釜の佐藤さん親子が、職場や地域で託された支援物資を持って女川にやってきました。女川にゆかりのある方ですが、ここまでして頑張ってくださることに、心から感謝します。物資は第一小学校の仮設住宅の岡さんにお願いしてきたそうです。私たちも前をむいて歩かなければと思いました。(Photo)
28 2011年8月18日 6:02
 バイパス仮設住宅で
 8月5日
全日本教職員組合のみなさん20人ぐらいと、災害対策ボランテイアセンターからも参加して、石巻金山の北部バイパスに設置された仮設住宅240戸を対象に、全国から寄せられた支援物資の配布を行いました。野菜類は袋に入れて、在宅しているご家庭に直接届け、衣類や日用品は青空市を2箇所で開き、多くの人に喜んでいただきました。
その中で、親子でボランテイアに参加してくださった方の写真を撮りました。どちらがお母さんで、どちらが娘さんかわかりますか。とっても若い!!(Photo)
27  2011年8月4日 7:39
星見目黒区議女川に 2回目
 7月31日〜8月1日
目黒区の共産党後援会の皆さんが2度目の女川支援
今度は石川恭子区議と星見てい子区議を中心に17名で女川に物資を運んできてくれました。
31日は、清水地区の仮設住宅集会所
約100名ぐらいの方が支援物資を受け取っていかれました。
始まるときは雨が降りそうだったのですが、なんとかなりました。
みんな喜んで。ある男性は私に缶コーヒーを飲ませてくれ、
「こうして私たちのことを心配してくれるのは共産党だけです。あとの党はなにしてるのか」と語って感謝してくれました。
その後原発の話を約1時間私からさせていただいて、原発ゼロをめざし、ともに頑張ろうと話し合いました。
8月1日は
はじめに女川原発が見える浜まで出かけ、実際に女川原発を見ていただきました。
帰って、小乗浜の仮設住宅50戸ぐらいのみなさんに支援物資の配布を行いました。
ここは阿部律子町議の活動地域で、彼女もいきいき対話しながら、服の選び方など行なっていました。
12時までギリギリ活動し、解散式となりました。
もっとアンケート調査などできたらよかったと反省しています。(Photo)
26   2011年7月22日 19:06
支援物資の配布
 7月13日
多目的広場の仮設住宅のみなさんを対象に全国から寄せられた支援物資の配布を集会所をお借りして行いました。
日本共産党のボランテイアの方が献身的に準備を進め、来た方々が深々とお礼をしていく姿に、「やってよかった」としみじみ感じました。
無理して野菜を用意していただき本当にありがとうございました。
最後にみんなで記念撮影です。(Photo)
25  2011年7月10日 12:56
支援物資の配布を
 7月4日と5日
女川町内4箇所で全国から寄せられた支援物資の無料配布を実施しました。
場所は仮設住宅を中心に行いました。
4日は清水地区と針浜地区の仮設集会所を借りて行いました。雨が降ったりでしたが、本当にたくさんの方がおいでになり、袋いっぱい野菜や、Tシャツ、ハエたたきなど持っていかれました。
5日は旭が丘と第一小学校の避難所、そして仮設住宅。
ここも、次から次と袋や箱に必要なものをいっぱい詰め込んで、「本当にありがとう」とお礼を述べてもっていかれました。
会場では、二重ローン解消の書名と原発撤退をめざす署名をおきましたが、多くの方が快く署名をしていただきました。(Photo)
24 2011年6月18日 10:16
 熊沢和子さん

6月16日
熊沢(旧性成田)和子さんが物資をたくさん送ってくださり、本人も女川においでになりました。
ありがとうございます。
支援物資は阿部律子さんのご協力を得て被災者に届けるよう頑張ります。
私も阿部律子さんも議会で会えず残念でした。
熊沢さんたちはムジカ音楽研究所を創設し、ご活躍中です。
女川では、合唱団のご指導をしていただいたとのこと、
本当に懐かしい限りです。(Photo)

23 2011年5月20日 20:43
池田町民のこころ届ける 
 5月20日、朝7時に集合、さっそく第一小学校と仮設住宅の前で青空市の準備に入りました。8時過ぎには、村端事務局長の開会宣言、矢口稔団長が「長野県池田町から来ました。この間多くの町民が女川の皆さんに元気になっていただこうとさまざまな物資や資金を寄せてくださいました。それを今日はお届けに来ました」とあいさつ。トラック2台分の品物を広げました。
 あいさつを終えて矢口団長と村端事務長は災害対策本部を訪ね、副本部長と議長に面談、そこで義援金を手渡し、また米三袋と車いすなどを届けました。
 はじめの青空市では、所狭しと並べた物資も、その間30分足らずで避難者の方々が待っていたかのようになくなりました。さらにトラックは走り、清水地区新田で青空市を展開、そこでも多くの人に感謝され、野菜やコメが飛ぶようになくなりました。
 次の行動で、二班に分かれ、青空市を2か所で、もう一方は一軒一軒お届けして歩きました。買い物するにも店がなく、車もない人々にとってかけがえのない機会だったのでしょう。あれほどあった布団をはじめほとんどの物資は被災者の手に渡りました。
 6時キャンピングカーの夕食に私たち夫婦と阿部律子町議が招待され、目的の達成に感謝をし、歓談をすることができました。(Photo
22  2011年5月20日 6:57
池田町民ネットワーク
 5月19日、長野県池田町から 被災地支援 町民ネットワークのみなさん8人(矢口稔団長)が、女川に到着しました。12時間の長旅で、コメや野菜や日用雑貨、夏布団まで積んでトラック2台、キャンピングカーと乗用車合計4台で夜7時に到着です。阿部律子さんと出迎えました。安曇野の豆腐がおいしかったです。明日から活動が始まります。
21 2011年5月8日 20:32
村端さん女川に 
 5月7日、急きょ長野県池田町から村端さんが来てくれました。5月20日からの支援活動の下見です。池田町は女川町と同じくらいの町で共産党議員2名いる町です。そしてフアンクラブを結成し、会報を定期的に発行しています。本当にそうした活動を学びたくて、いつかはお伺いしたいとかねがね思っていました。そのフアンクラブの事務局長をしいているのが、大学時代のサークルの仲間、村端さんでした。彼にはぜひ実際の目で被害の実態を見てほしいと思い、一回来てみてとお誘いしたところ、お忙しい中工面して訪問してくれたのです。阿部律子議員も交え支援活動の具体的イメージを語り合い、とんぼ返りで午後帰郷されました。仙石線が途中までしか動かない不便さの中、お疲れだったと思います。でも必ず、20日、21日の支援活動が実り多いものになりますよう期待いたします。
 そんな中、国民救援会の吉田さんが電話をよこし、また、支援物資を積んで女川に来るとの連絡です。本当に気を使っていただき心から感謝いたします。その支援物資とは、婦人用バック、イチゴ、キュウリ、白菜、キャベツ、夏みかんなどでした。明日、全国教職員組合の方々が日用品等支援物資を持ってくるというので、その時に配布することにしました。しかし、婦人用バックは、吉田さんたちの目の前で、ご婦人たちが手に取って好きなものを選んで持ち帰るものですから、あっという間になくなってしました。
20 2011年5月8日 20:32
さすが学校の先生
  全国から集まった学校の先生の皆さん。朝、9時半には女川の総合体育館に到着し、シートを広げ、ノートからクレヨン、リコーダー、上靴、絵本やTシャツ、鉛筆、お習字セット、洗剤やトイレットペーパーなどなど所狭しと並べ始めました。 (Photo)
また、イチゴはカップに半分分けして、野菜や夏みかんまで並べて、店開き。体育館では職員の方が「全国教職員のみなさんと国民救援会のみなさんの支援物資の配布が行われます」とアナウンスしてくれました。
ものすごい人だかりの中、ほとんどの物資が30分ぐらいでなくなりました。後で見るとちひろカレンダーは体育館の何か所かに張り出されています。
みんな喜んで子どもたちのために選んでくれた光景が忘れられません。
19  2011年5月5日 13:46  5月4日、星見てい子さんたち目黒のボランチィアの皆さんは夕べからトン汁の材料の下ごしらえをして、第一保育所に避難されている皆さんに朝早くお邪魔してふるまってくれました。署長さんの計らいや阿部律子さんの声掛けもあって、70人ぐらいの方々がおいしいトン汁を堪能しました。お別れのときはみんなが部屋から出て、手を振って別れを惜しんでくれました。星見さんたちは9時過ぎ女川町をたって気仙沼へむかいました。本当にありがとうございました。 (Photo)
18  2011年5月3日 19:38  5月3日朝早く、東京都目黒区から星見てい子区議とボランテイアの仲間17人が女川にやってきてくれました。前日には区議が手配してくれた茨城県農民連の仲間が野菜や果物を12箱も送ってきました。長野の荒さんの野菜、マイクロバスで持参した物品を広げ、2組に分かれて「こちらは日本共産党です。東京の目黒からやってきました。野菜などをお届けします」とハンドマイクで訴えながら一軒一軒お届けしました。また旭ヶ丘などでは青空市を開きました。一緒に「手引きも」配布。どこでも感激され感謝されました。残るかと思われた毛布もなくなるほどの盛況でした。本当にご苦労様でした。(Photo)
17  2011年4月26日 19:34  26日。今日は昨日の続きで仙台の吉田さんたちが寄せてくれた白菜やキャベツ、ナスなどを個人的に避難しているご家庭にお配りしました。どのご家庭でも大変喜んでくれました。中にはご近所に配り方をしてくれたご婦人もいて助かりました。昨日お配りしたキャベツを使って「漬物にしたから食べてください」とわざわざ避難所まで持ってきてくださった方も。本当に良かったです。すべてお配りし終えました。
16  2011年4月26日 15:48  国民救援会のみなさんが激励にわざわざおいでくださいました。そして、亡くなった会員や家を流された会員にお見舞金を届けてくださいました。ありがとうございます。その上、車にキャベツや白菜、ナス、夏みかんなどいっぱい詰めて来られました。こうなったら、昨日と同じように一軒一軒届け始めています。一軒目から「本当にうれしい。ご近所に分けたい」と配り方を手伝っていただくことになりました。それにしても、まだまだあります。明日も違った場所を訪問します。店もなければ車もない中で、こうした支援は喜ばれるんですね。
15  2011年4月26日 19:34  まず嬉しかったこと。東京目黒区の星見議員が当選しました。さっそく電話をすると、連休にみんなで支援に来てもいいという話です。実現できたら本当に嬉しいです。二つ目、今度の土日上山に行き、菊池さんとお会いしたいと思っています。ゆっくり休みたいと宿をお願いしました。さっそく手配していただきました。日本平和委員会が、義援金を持って女川町を訪れてくれました。小林さんには大変ご負担をおかけしました。それにしてもCDの贈り物に感謝します。大好きな曲がいっぱいです。
14  2011年4月24日 19:20  全国からの支援に心から感謝申し上げます。肉がほとんど食べられなかったとき、岩手の館が森牧場から届けられた豚肉やソーセイジ、卵など本当にありがたかったです。これまで支援物資は町の災害本部に届けていました。
 しかし、東京からわざわざ持ってきてくれた衣類は十分だからと受け取りを断られました。本当にすまないことをしたと、思っています。その後、川崎の皆さんや、新婦人の会、東京の友人から寄せらた支援物資はすべて私たちで、会場で店開きをし、必要な人が必要なだけお持ちいただく方式で支援物資のお届をしました。たちまち人だかりとなって、ほとんどが喜んで持って行っていただきました。
 本部はすべての人に公平に配分しなければならず、大変だと思いますが、この方法だと、必要な人が喜んで持って行かれるのですから、合理的だとわかりました。
 また、半壊程度で家で電気も水もないところで生活している被災者に
米や野菜を届けました。本当に喜んでいただきました。
13  2011年4月22日 20:56  22日 新婦人の会のみなさんが女川町長に義援金百万円を届けに来られました。それも現金でです。母親大会の話もでて和やかな会談でした。町長も本当に喜んでいました。
12  2011年4月22日 20:45  (情報ボランティアの)佐藤さんご夫婦と娘さんとお友達、本当にありがとうございました。楽しく避難所めぐりを行うことができました。また、いただいた支援物資は大好評でたちまちなくなるほどでした。中でもタオルは足りないほどでした。ありがとうございました。強行軍でお疲れになったことと存じます。
11  2011年4月18日 20:22  今日共産党の議員団会議で町営住宅の人も、貸家に入っていた人も、生活支援金が受けられる可能性があり、罹災証明書をとっておく必要があることがわかりました。また、埋葬費最高二十万一千円が出ることもわかりました。皆さんにお知らせしなければなりません。がんばりましょう。
10  2011年4月16日 18:53  今日は宮城県保険医協会理事長の北村龍男先生が女川の災害時医療の現場を視察され、これからの支援についての検討課題を探っていかれました。長い避難生活に医療支援は本当にありがたいことです。
9  2011年4月15日 20:13  今日14日、突然仙台市議の福島かずえさんが支援物資を持って女川に。京都の平岡先生を同行して。これからの復興計画にアドバイスをいただきたいと、心強く思います。
8 2011年4月15日 20:03  京都の秋山夫妻にはいつもお世話になっています。今回は娘さんも含め大変なご支援をいただき感謝します。何としてもご期待に応えたいと思います。13日。
7 2011年4月4日 18:41  東京の星見議員さんたちの活動でたくさんのお米など支援物資が届けられました。ありがとうございます。また半田さんたちはご親戚にお会いできたようでよかったです。
6 2011年4月3日 18:17  4月3日 今日は農民連、年金者組合、庄内産直組合の皆さんによる豚汁の炊き出しが行われました。温かくおいしくいただきました。 
5 2011年4月3日 18:26  日本共産党から女川町に五百万円の義援金が贈られました。町長は「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」と話していました。 
4 2011年4月3日 6:12  個人的にもたくさんの方々から心あたたまるご支援をいただいて本当にありがとうございます。まず私たちが元気で活動することご恩に報いることと決意して頑張ります。 
3 2011年4月3日 5:59  4月2日 全国民主商工会連合会の皆さんが遙々支援物資をもって激励に駆けつけて下さいました。 
2 2011年4月3日 5:46 4月2日 自由法曹団のみなさん10人ほど調査と激励に訪れました。
1 2011年3月31日 5:43 3月19日高橋ちづこ衆議院議員と横田、遠藤両県議が女川を視察激励に。

書込み開始 2011年3月31日〜

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