全国各地に広がる女川支援・リンク集1

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2011年5月16日 日本共産党東京目黒区議 星見てい子ブログ
女川原発に反対して40年 ‐ 高野博女川町議に聞く
 
5月3日、4日と宮城県女川町に震災支援に入り、お世話になった高野博町議のインタビューです。おすすめです。ぜひ、ご視聴ください。 
 
 
2011年5月18日  「あづみのつれづれ日記」村端さんのブログ

朝からトラックに荷物を積み込んで、お昼過ぎようやく完了。やはり2台のトラックが正解でした。それぞれに煮崩れしない程度に一杯積み込んで役場の駐車場に移動。明日朝出発を待つだけになりました。
午後1時過ぎからは最終打ち合わせ。私のつくった「ハンドブック」をもとに、綿密な意思統一を行いました。ここには信濃毎日と市民タイムスの記者も同席し、細かく取材。明日の信毎には記事がでると言っていました。どのように書いてくれるのでしょうか。
今朝の高野さんの話では、20日の午後からは議会が始まり公的な活動も行わなければなならないので、21日の午前中女川原発を外から視察、説明を聞き、昼食をとってお別れするということになりました。20日を乗り切ることがともかく最優先。沢山の物資をどの程度受け取ってもらえるのでしょうか。少しでも役に立てることだけが望みです。



 
2011年3月27日 日本共産党東京目黒区議 星見てい子ブログ
東日本大震災・・・目黒での災害情報⑰おを下さい!
 救援物資
       2011年3月27日 日本共産党区議 星見てい子 
気仙沼への石油ストーブ募金へのご協力ありがとうございます。
今度は・・・
宮城県女川(おながわ)町に、救援物資としておを運びます。
■しめきり 4月3日(日)午後5時まで
■募集場所  日本共産党 星見てい子事務所
目黒区原町2-22-12 Tel&Fax 03(6315)2355
             080-5680-4531(星見携帯)
■支援先と担当者 避難所・女川町総合体育館 高野博・女川町議
■お米の支援にいたった経過
...
 
2011年3月22日 日本共産党宮城県委員会のブログ  
高野博・女川町議から全国のみなさまに御礼 [2011年03月22日(火)]
高野博・女川町議から携帯電話がありました。
 「私の消息を心配して、たくさんの方から電話があったことを知らされました。しんぶん赤旗が『パソコンがほしい』という私の言葉を報道したことから、各地からパソコン提供のご連絡をいただき、恐縮しています。避難所で生活しながら元気に活動しています。みなさまの激励に、心から御礼を申し上げます」
 
2011年3月19日 京都府大橋 満 向日市会議員の世なおしト-ク 

家失った町議、奔走 (2011.3.19)

宮城・女川

地図:宮城・仙台市、女川町

 東日本大震災で自身も被災しながら、避難住民の生活改善に献身的に働く人々がいます。宮城県女川町で被災した日本共産党の高野博女川町議(67)もその1人です。

 「そばで元気よく『おはよう』と言うのが、私の役割かな。親や子を亡くした人でも、それで少し元気を取り戻す人もいるから」

 津波に自宅を流された高野町議。妻と息子夫婦、小学2年生の孫の家族全員無事でした。

 世帯数3900ほどだった女川町は壊滅的な被害を受けています。津波で町役場が水没。住民の戸籍情報が喪失しました。

写真

(写真)避難生活する住民を、高橋ちづ子衆院議員(右から3人目)らと激励する高野博町議(中央)=19日、宮城県女川町

 高野町議は、町内の総合体育館で避難所生活を送っています。「一緒に寝泊まりして、聞き取った要望を町の対策本部や党の対策本部に伝えて『国に強く言ってくれ』といっています。そんなだいそれたものではないよ」と謙遜(けんそん)します。

 着のみ着のままで避難してきた住民たち。劣悪な避難所生活が長期化する見込みで、ライフラインの復旧や仮設住宅を求める声が強まっています。

 家を失った高野町議がいま一番欲しい物はパソコンです。

 「女川町の大変な被害がほとんど報じられていない。だから私がユーチューブ(動画投稿インターネットサイト)でも使って、実情を情報発信したい。 そして、他の震災ではどれぐらいで仮設住宅ができたかとか、みんなが知りたい情報をなんでも手に入れたい。地域ニュースを作ってみんなに知らせてあげた い」

 福島原発の重大トラブルを受けて、地元の東北電力女川原発への不安が広がります。高野町議は「震災後に私に『高野さんの言ってきたこと、正しかったね』と声をかけてくる人もいます。国にモノが言えるのは共産党だけという期待を受けている気がする」。

 「全国から『生きてっか?』と電話をくれたみなさん。はげましありがとう。私は元気です」
(矢野昌弘)

 

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