< 女川町議会 >

No. 書込日時 メッセージ
29  2011年9月12日 6:58
9月定例議会始まる
 9月5日より15日まで
9月議会は主に平静年度の決算と復興計画案の審議です。
5日は、私の一般質問で @原発問題、A仮設住宅の地デジ対策、B復興計画策定で欠けていること、を取り上げました。
@ 原発問題は3.11と4.7両日女川原発で何が起きたか、東北電力からどう報告されたか、質問しました。なんと町当局は3.11に外部電源が5系統のうち4系統が使えなかったことは電力から報告受けていなかったのです。
私は女川原発が一番古いマークTという型の原発で、9月3日のサイエンスZEROやETVアメリカから見た福島原発という番組で、廃炉も検討されている原発であることを紹介しました。
その上で、3.11の経験を経て、福島原発の徹底的な検証もなしに、プルサーマルは問題外で、再稼働も許されないと主張しました。
A 仮設住宅への地デジ対策をただしたところ、女川町の仮設住宅では11箇所で見れないこと、岩手県や福島県では仮設住宅を建設する時から対策を立てていることを明らかにし、8月31日対策会議を開き、宮城県に対応を求めたと回答がありました。それにしても村井知事は大手プレハブ業者に丸投げして、入る住民のことなど眼中にないあまりにひどい行政だと思いました。漁港の集約、水産特区構想や復興増税など平気で押し付ける村井県政は許せるでしょうか。
28  2011年9月11日 20:50
議員全員協議会
 8月31日
9月議会に向けて議員全員協議会が開かれました。竹浦から「拠点港にして欲しい」という陳情書が提出されました。13日と14日に審議されると思います。
27  2011年9月11日 20:47
臨時議会と定数特別委員会
 臨時議会は病院の改修の契約案件
その後女川町議会の定数等調査特別委員会を開催しました。委員長は私です。これまで16人の定数を14人に減らすことを決めていたのですが、この大震災を受けて、現職議員が4人犠牲になり、さらに人口が減る勢いの中、さらに減らすべきと意見が出て議論してきました。約20箇所で行われた住民懇談会では、もっと減らすべきとの意見と、この大切な時期にこのまま頑張って欲しいとか、経済界の懇談会では14人でいいのではないか、報酬を減らしても議員は多いほうがいいなどの意見もありました。一人ひとり意見を述べていただき12人が適当という議員が7人、10人が適当と主張された方が3人でした。そこで結論として女川町議会の議員定数は12人に改正することを決め、本会議に提出することになりました。
26  2011年9月11日 21:11
病院審議会開催される
 9月1日
女川町病院審議会が開催されました。この2年間、院長から辞表が提出され、東北大学医学部からは女川には医師派遣ができないと言われ、地域医療を守るためにどうするか真剣に悩んだ時期でした。町議会議長や同僚の議員と岩手県の藤沢町の病院の経験を学び、地域医療に情熱を傾けている先生方の講演を聴きに出かけました。その時自治医科大の傘下の先生方で組織している、社団法人地域医療振興協会が医師派遣をしてもいいと助け舟を出してくれ、藁にすがる気持ちでお願いしました。その後町長は指定管理を社団法人地域医療振興協会にお願いする動きを始めました。こうしたことはこの運営審議会に入ってよくわかったことです。ところが、一方地域医療振興協会の内部では、女川の病院を引き受けるのは反対という動きもあり苦慮されていました。そのことを東京の研究会の席で目の当たりにして私は絶好のチャンスを失ってはならないと議長に相談、同僚議員にも実情を話し、地域医療振興協会の支援を受けることができました。特に、3月11日の大震災にあたっては全国組織の地域医療振興協会のお力は言葉に尽くせぬものがありました。
やっと今年の10月1日より公益社団法人地域医療振興協会に業務を指定管理にして19床の診療所と100床の老人保健施設を擁する女川町医療センターが発足します。病院審議会も任務を終え解散することになります。本当にご苦労様でした。
25 2011年8月26日 10:13
 震災対策特別委員会
 8月24日
安住町長は本当に避難者のことをわかっていない。ひどすぎる。3階建てのコンテナ仮設住宅にこだわり、お盆どころか、彼岸すぎても入居できず、とうとう10月15日以降でないと完成できないと言い出しました。さらに、少しでも早く入居させるという口実で、工事完成順に4段階に分け、入居させると言い出した。何ども何ども分けられる人の立場も考慮せず、よくぞそんなことを考えるものだ。私は怒りを覚えました。
私はもう避難生活が半年を過ぎ、7ヵ月目になろうとしている。精神的にも限界を超え、今朝も救急車で運ばれる避難者もいる。とにかくこれまでの説明のとおり、9月末まで入居できるように、計画を見直し、工夫をすべきだ。なにがなんでも10月はじめには入居していただくという強い決意で仮設住宅の建設にあたって欲しい。方法はいくらでもあるはずだ、と主張しました。
しかし、町長は3階建てコンテナ仮設住宅を見直す考えは示しませんでした。ここまで、避難住民の悲痛な叫びを無視し、全国初の3階建て住宅に固執する理由はなんなのでしょうか。本当に不思議でなりません。
企業の論理優先、住民ないがしろの町政に、もう限界です。
24  2011年8月26日 9:01
本郷議員の葬儀で
  8月17日
3月11日の大震災で、16人の議員のうち、4名の議員がなくなりました。その一人の本郷隆議員と奥さんの葬儀告別式が行われました。まだ50代の若さで、これまでも町民の中で率先して仕事をしてきた方で、これからが本領発揮と言う議員さんでした。残された私たちが本郷さんのようなフットワークで、復興に向けて頑張らなければと思いました。
23 2011年8月18日 6:02
住民懇談会4 
 8月11日
多目的運動場仮設
ここで印象に残ったのは「原発があれば、いくら復興計画といってもダメになる」と若いお母さんの言葉でした。
そのとおりです。人口はこのままではどんどん減るでしょう。しかし、こうしたいい街にするから女川に住んで欲しいと訴えたときに、「原発があるから怖い」と言われたら、私たちはどう答えればいいのでしょうか。私たちはもう原発はいらないと声を大にして言いたいと思いました。
22  2011年8月18日 6:02
住民懇談会3
 8月10日
勤労青少年センター 10人
第一保育所     13人
針浜仮設       9人
ここではいつまで仮設住宅に入れるのか、深刻な問題がありました。特に、勤労青少年センターにおいでの方は、第一保育所に移動をお願いされ、「その前に仮設住宅を決めてくれ」と一時は険悪な空気もあったそうですが、私たちにはその問題は提起されませんでした。保育所を開きたいという保育士さんの熱い思いが通じたのかもしれません。
針浜の仮設住宅は女川で一番いいと聞かされていたので、床が波打つと聞かされびっくりしました。それでも業者が順番に直しているようでした。
21  2011年8月18日 6:02
住民懇談会2
 8月9日
指浜 11人
バイパス西 7人
バイパス東 13人
詳しい報告はあとでまとめて出しますが、実際に懇談してみんな喜んでくださっています。仮説に入ってしまうと、情報がますます不足している感じがします。ぜひ何度でも足を運ばなければと思いました。
それにしても、部落の集約化を強行するなら、議会として復興計画そのものを修正をするなり、対応を検討する必要があると痛感しました。
20  2011年8月18日 6:02
住民懇談会1
 8月8日
住民懇談会
桐ケ崎 8人
三小尾浦9人
竹浦20人
御前浜 14人
議会と住民の懇談会初日目です。議員は高野、阿部繁、酒井、宮元、山田の5人に木村議長に木村委員長も参加していただきました。どこでも、復興計画については、自分の部落の上の方に居住したい。部落の集約化は反対だと強調されました。仮説に入っての感想では、舗装がされていないので直して欲しいとか、様々意見が出されました。議員定数問題ではほとんどこうした大災害の後だけに今のままで頑張って欲しいとの意見でした。
19 2011年8月18日 6:02
臨時議会 
 8月2日
今回の臨時会は、10月1日から、町立病院を地域医療振興協会に指定管理するために、津波で浸水した一階部分の改修と、19床の一般病床、100床のレジン保健施設に改修、そのための医療機材の購入などで財政調整基金を取り崩し、11億円を超える予算が計上されました。また、前の老人保健施設を当面、福祉住宅に利用することになりました。
その後、病院事務長から、日本赤十字の義援金から19億円が地域医療を守る病院の回収費にと寄付されることが決まったと報告がありました。
いずれにしろ、大震災の中でも、困難を克服し、女川町民の医療福祉を守る砦は確保されることになりました。
18  2011年8月4日 6:46
病院対策特別委員会
 7月29日
女川町立病院対策特別委員会が開催されました。
一つは、10月から地域医療振興協会の指定管理へ移行すること
二つ目は、19床の診療所にし、100床の老健施設を併設すること
三つ目は、名称を「女川町地域医療センター」とすること
四つ目は、出島、江ノ島の診療所も包括すること
という方向性が示されました。
また、従来の老人保健施設50床を改修し、当面、42名が住める福祉住宅に活用したいと、提案されました。
私たちは女川町の現状に鑑み、地域医療が守られ、しかも、在宅医療や訪問リハビリなど、地域に根ざし身の丈に合った医療が展開されることに期待し、また、自ら地域医療を守る姿勢を、今度こそ住民みんなで作り上げていきたいと思いました。
17 2011年7月22日 19:39
臨時議会 
 7月21日
今回の臨時議会はコンテナ方式で仮設住宅を購入する契約案件でした。
189戸で約12億円。全額県の補助ですすめられます。
問題はこれで仮設住宅の入居希望者数と建築数があうのかどうかです。
町当局の説明ですと、約60軒分不足する心配もあるが、流動的でまだ確定的な数字はつかめないとのこと。
私はもう避難者は待つのに限界だ。今度抽選に漏れたらパニックが起きてもおかしくない。そんな緊迫した状況だ。
きちんと見通しのある対策を立てるべきだと迫りました。
町長は最後の一人まで、町は責任をもって仮設住宅に入居できるようにすると答弁しましたが、27日抽選日。
それにしては具体的な話はありませんでした。
本当に、避難住民の心がわからない町長です。
16   2011年7月10日 12:56
議会と復興連絡協議会との懇願会
 7月6日
第二回目の復興連絡協議会との懇談会が行われました。
冒頭、製氷工場再開への助成に感謝の言葉がありました。
これから魚市場を再開するためには、ガレキの撤去が最大の課題で、定置網が出来るのが7月半ばすぎではないか、8月までかかるかもしれないと、遅々として進まないガレキ処理に苦慮しているようでした。
そして、仮説の工場をつくろうと地権者の協力を得たが国の中小機構が話に乗ってくれない。そもそも、水産加工業を水産庁でなく中小企業庁が面倒を見ることになっていたことが、今度初めてわかった。
それにしても予算が少ないもんだから、なんだかんだと条件を付け、金を出してくれない。本当に困っていると訴えられました。
また、商工会会長から、町に震災対策資金の支援が欲しい。
そして、これからも月一ぐらいでこうした懇談会を開いて欲しいと復興連絡協議会から提案されました。
15  2011年7月10日 12:56
臨時議会
 今回の議会は野球場に仮設住宅を188戸建設する。
仮設住宅は2階建てや3階建てになる。
その金額は15億円。一戸あたり約800万円です。
私は高すぎる建設費と場所がないというが第二多目的広場もある、なぜ騒音が心配な二階建てかと迫りましたが、町長はコンテナで交互に積み上げるので騒音は解消される、高いというが使用後、何度でも使えると答弁。さらに第二多目は災害復興住宅建設地に使うと初めて具体的な答弁をしました。
14  2011年6月27日 12:14
三部落で懇談会
 6月26日
住民と議会の懇談会、三部落篇
大沢安住・針浜・浦宿の三部落は直接津波被害のなかったところです。
しかし、被害を受けた親戚などが身を寄せ、地震の被害が顕著でした。
私たち議会として、遅くなりましたが懇談会をお願いしたらなんと50人以上集まってくださいました。
何よりも地震後地盤沈下が起き、海水が道路に冠水するなど
それだけでなく、周辺の家にまで浸水してま市に毎日大変な生活を余儀なくされていると切実に訴えられました。
13  2011年6月26日 19:09
6月議会を振り返って 
 6月20日
やっと6月議会が終わりました。
原発問題でもっと厳しく追及したほうがよかったかなと思いました。
でも、何としても町長と問題意識を共有したかった。
そして、女川町でも放射線を測定させたい。
住宅修理の分野で、半壊未満の方々にも補助金が出せないか、国の総合社会資本整備交付金を活用できそうだ。
そのための条件整備を検討して欲しい。
私たちも研究してみます。
町長に「上から目線ではダメだ」と進言しましたが、理解していただけませんでした。
仕事も家族も全て失った人に、「自分たちで考えろ、行政はそれを支援する」という姿勢は根本的に間違っている。
被災者に寄り添い、行政が雇用を創出し、一緒に頑張ろうと呼びかけるときではないか。
こう語りかけたのですが、「私は職員に雇用につながるように対応すべきと指示している」と語るだけでした。
町長自ら被災者の懐に入って、行政が率先してやれることをやるから、頑張ろうと語って欲しかったです。
12 2011年6月18日 4:42
6月議会が始まりました 
 6月16日
はじめに阿部和男議員、菊池孝四議員、鈴木隆子議員、本郷隆議員の4名に追悼の言葉が送られました。
私は、阿部和男議員への追悼の言葉を述べました。
続いて一般質問が行われ、私は原発と復興計画と仮設住宅について質問をしました。
詳しくは後程ご報告します。
11  2011年6月13日 4:42
議会と住民の懇談会報告資料
 5月21日から6月3日まで、議員が5人ずつ、2班に分かれ、町内に設置された避難所等を訪ね、直接住民の皆さんのご意見を伺いました。
その要約した記録です。(PDFファイル)
10  2011年6月13日 4:38
町議会特別委員会中間報告
 6月10日、女川町議会震災対策特別委員会は、添付資料のとおり中間報告を議長に提出、議長はただちに復興計画策定検討会議にお示ししたと思います。
ここには、各地区の避難所をまわり直接聞き取りをした住民の意思を反映したものが盛り込まれています。
原発問題は入っていませんが・・(PDFファイル
9 2011年6月4日 6:12
懇談会4 
 6月3日
残っていた御前部落の懇談会を行いました。部落の人は自分たちの部落を離れたくない。何とかして一緒に住みたいと切望していました。
また、頻繁に崖崩れを起こす国道398に不安を抱き、何とかしてほしいと訴えていました。
8  2011年5月28日 6:21
病院対策特別委員会
  5月24日
町立病院特別委員会を開きました。地震と津波の報告があり、病棟1階が水浸しになり、多くの医療機器が使えなくなりました。職員も2人犠牲になりました。こうした中で、3月13日から5月8日までの57日間で地域医療振興協会から、のべ1636人支援していただきました。本当に感謝申し上げます。7月まで支援がすでに決まっています。10月1日から、町立病院はこの地域医療振興協会に業務を指定管理する予定です。
7 2011年5月28日 6:09
住民懇談会3  
  5月25日
住民懇談会として総合体育館の剣道場と大体育室の2か所で懇談会を行いました。やはり仮設住宅は何年はいれるのか、自分の土地は買い上げてもらえるのか、今すぐにでも仮設で(水産加工)の仕事をしたい。そうすれば仕事、雇用だってできる。役場も臨時雇用で私たちを使ってくれないか。大沢や安住地区などこれから家を建てたい人がいる。市街化調整区域の網を外してもらえないか。清水地区の仮設は街灯もない、スクールバスなど出してほしい。川沿いにガードレールがほしい。などいっぱい意見が寄せられました。
6  2011年5月25日 6:45
 議会と住民懇談会2
  5月23日
北浦の第三小学校と指浜の避難所を訪れました。仕事の忙しい中10数人づつ集まってくれました。議員は、阿部繁、宮元伸成、酒井孝正、山田直と私高野博の5人です。
道路が崖崩れで通れない。一週間たってもそのままだ。
仮設住宅の建設について、25戸ではどこにも足りない。
復興計画の漁港集約は困る。部分的でも嵩上げして指浜でも使えるようにしてほしい
やはり、自分たちの浜が見えるところに家を構えたい。
自分たちで地主を説得すれば、町で造成してくれるのか。
女の人が毎日毎日食事の準備で、せめて温泉にでもつかりたい。
などいっぱい話が出されました。
5  2011年5月22日 6:19
懇談会1
 5月21日
11日、議会に震災対策特別委員会が設置され、17日の委員会で住民との懇談会実施が決められました。そこで私たち2班ですが21日から第一回目勤労青少年センターで開催。26〜27人ぐらいの参加でしょうか。第二回は第一保育所で40人から50人ぐらい、
 仮設住宅は地域のコミュニケーションを考慮してほしい。仮設に入っても収入がない中で一定の支援がほしい。仮設住宅の近くに仮設の商店街ができないか。仮設住宅と病院や役場をつなぐバスを運行してほしい。など、なぜ仮設住宅の抽選を公開しないのか、議員は何をやっているのかなど、厳しいご意見や前向きの提案、有意義な話し合いになり、一方、人口減少への不安を訴える声、原発事故の風評被害を心配する声もありました。
 どちらの会場からも、何回もやってくれ。情報が少ないのが困る、などと歓迎の声でした。内容については、まとめてご報告します。
4  2011年5月20日 6:57
議会と住民懇談会の準備 
  5月19日、住民のみなさんの意見や考え、要望をお聞きするため、議会として2班に分かれ、5人程度の議員がグループをつくって、懇談会を開催します。そのための準備で、会場になるところを相談し、確保すること、時間を決めることなど、とりあえずお知らせの文章も検討しました。1回目は21日です。議長や局長とも相談しました。最後に御前分校は開催ができませんでした。急な計画ですが、一方では町のほうも公聴会を開催していますので、重なり合うようです。でも言いたいことを言っていただけるような雰囲気で進められたらと思います。
3 2011年5月18日 21:38
 臨時議会2
 ほとんどの議案は3月11日の地震と大津波で、議了できなかった議案と、この間の専決処分をした議案の承認を求めるものでした。専決されたものですから、普段は議論なしに進むものですが、今日の臨時議会が21日に放送されるとか事前に議長から紹介されました。活発な議論が行われました。私は「避難所の食事に野菜が少なく、このままでは成人病の患者さんは命を縮めかねない」と改善を求めました。見舞金の支給が遅すぎるとか、雇用を生み出すようにとか、復興計画に議会の意見を尊重せよとか、子供たちの給食はいつからとか、漁港の整備はどうする、部落の集約はなども議論されました。とにかく提案された議案の審議でしたが、怒涛のように一般質問をしているような雰囲気でした。
本会議の後、今度は災害対策特別委員会が開かれました。
委員長から、住民の意見を聞こうと懇談会の開催の提案が行われ、2班に分かれて行うことになりました。私は第2班の班長になり、5月21、23、25日に同僚議員と一緒に各避難所を訪問し、直接意見を聞くことにしました。遅すぎたとは思いますが、精いっぱいみんなで頑張り、住民の声を反映した復興計画にできればと願っています。
2  2011年5月14日 6:28
臨時議会
 5月11日、やっと正式の臨時議会が開催されました。小学校の教室で、机も小学校の物を借り、書類を置くにも狭くて名札を落とす人もいました。それでも何とか議会は開かれ、災害対策特別委員会が2か月目で発足しました。
町長から復興計画策定委員会から中間答申のあった基本方針案などが示され説明を受けました。私は5月1日の復興計画策定会議で示された3案にはなかった総合運動公園をこわしそこに住宅地を集約し、清水地区に運動公園を新たにつくる計画について、あまりに唐突で「運動公園までどうしてつぶすのか、これでは何年かかるかわからない、8年かかる計画では人口はどんどん減ってしまう」と指摘しました。町長は「公共事業はそんなに簡単にはできな」など的外れな答弁をし、それでもばつが悪いのか「心配されることはわかる」と付け加えるありさまでした。
住民の声を十分反映させたいものです。
1  2011年4月12日 19:54  今日は議会全員協議会が開かれました。私たちは瓦礫の撤去などに町民を雇用できないかと提案し、町に話をして欲しいと議長に訴えました。また、2億円で仮の役場庁舎を建設するという話には町民感情から同意できないと申し上げました。

書込み開始 2011年5月14日〜

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